引き寄せ実践報告【42日目】勝利への「一歩」を踏みしめたぞ!
②「私が見た夢の話」
◇. 実践報告
【実践内容】(クリックで表示)
②自己肯定アファ
③録音アファ
④1000回 自愛アファ
ホ・オポノポノを脳内で唱え続けます。[順番と言い方]はこうです↓
「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」
基本、意識出来る間はずっと唱えていました。
就寝前に自己肯定感を高めるアファメーションを[100回以上]呟きます。
「”宣言文”は」
「私には力がある」「私は幸せである」「私には価値がある」「私は素晴らしい」「私は優秀だ」「私は守られている」「私は大金持ちだ」
時々「とても」や「すごく」をつけると、アクセントになってGOOD!!でした。
ブログを書いている作業中は【録音アファ】を聴き続けます。
ウォークマン、PCでブログを書いて居る間は可能な限り聞き続ける事。
(内容:自作した録音アファ)
youtu.be
鏡で「自分の顔」を見ながら【1000回 自愛アファ】を呟きます。
自分の”目”を見ながら唱える。
「私が世界で1番だ」「私は貴方の事が大好き」「私は貴方を愛しています」「私は本当に貴方の事を愛しています」「私と貴方は素晴らしい」
自愛アファすげぇ!
何度目ですかぁ? この発言をするのは!
それ程までに、「自愛アファ」は凄すぎる!!!
「800回」をノンストップで唱えてみなさい
貴方は「ハイ」状態になり、まるで全てに祝福されているかの様に感じ始める!
私は「昨日の夜」はとても調子が良かった、その時の嬉しかった事・良くなって来ている事への実感を語りますよ!
容姿を褒めれる!
私の容姿が良くなった、とは言いません。写真を撮れば「歪んだ顔」が写り。見る人は私を気味悪がるでしょう。
しかし、私はそうは思わない! 私は「幸せを掴んだ人の顔」をしているからだ!
幸せになる事とは別
歪んでいても、問題ではない。こんなの唯の乗り物なんだから。
納得は出来ないかもしれない。でも、そんな事を関係せずに、私は「勝利者」になってしまうのだ! 思い込みではない。昨日「啓示」とも感じる祝福を受けた・・・・・・気がした!
だが、私の不安が「一瞬」、霧状に 昇華 され、私は「勝った」のだと理解したのである。
金銭で不自由はしない
私はもう、「金銭面」で不自由する事はないでしょう。
それが、昨日もらった「啓示」の1つである。 私は須らくして、「勝利者」になるしかないようなのである!
それが、私の求める物と、どう繋がっていくかはわからない。
しかし、そのゴールまでの道に必要な「供物」は全て、もう、
部屋前の廊下・軒下・望めば、頭上からも降らす事が出来るであろう
私は「勝利者」になったのである! 素晴らしい、なんと素晴らしい事か。
些細である、全て些細である! 人の不満、嫉妬、全ての邪魔な存在は、もう「私の前から」消え始めるのである!
羽休め
凄いですわ! 私(わたくし)大きな屋敷に住んで、鳥達と戯れながら過ごすんですの! ふふ…私がやりたい時に物事に取り組むのですわ。 それが全て、私を裕福にしてしまうんですの! 簡単ですわ。 全て簡単な事!
「夢」の話
自分でも驚く「夢」を見ました。
体験談で分けるか。 とも思ったけど、何か違うと感じたので報告で書きます。
夢の内容
簡潔に結果を伝えると
「母親」をエクソシストばりに口汚く罵り、棚の後ろに押し込み、棚越しに「母」を蹴り続け、そしてずっと出てこない母に怒りを覚えた私は、
棚の後ろから「母」を雑に引っ張り出し、横薙ぎに持ち上げ、最後の最後まで「罵り」ながら、廊下に向かって「放り投げる」
そして、私は「扉」を隙間なく閉めた。
怒るまでの流れ①
私の作業中に、母親が「肉・揚げ物」を持ってきた。
私は「いらない」と思ったものの、
久しぶりには、食べてみるか。
と、手をつけ食べ始めたのである。その間「母」はずっと隣で、「私」を見ていた。
怒るまでの流れ②
そして、全体の「3割」を食べた頃だろうか、急に「母」がこう言ってきた。
あぁ~。こんなに食べちゃって、明日の分がなくなっちゃったわねぇ~。どうするつもりなのかしら。
その時、私の中で選択肢が生まれていた
「怒鳴り散らす」 か 「謝るか」
の「二択」である。
どちらも選ぶ余裕があった。
しかし、私は「怒鳴り散らす」方を、自分で選んだ。
「夢」だと気づいていた?
答えは「No!」
最後の最後まで、私は「現実」だと思い込み、それでも尚、私は「母を罵り」あまつさえ「投げ飛ばし」さえしたのである。
多少の「後悔」はあった。
しかし、仕方がないという「割り切り」と。「決別の心構え」が、私の全体を引っ張り、その時私は「暴君」に成り代わったのである。
終わりに
私は「人が欲しい」って思うものとは違う事柄を手にする。
だから理解してくれるのは「少数」だけだと思う。
でも、どうでも良い。私と存在を同じくする者は全て、幸福で、「個」として自立した、素晴らしい存在達なのである。