【体験談】”激昂”した出来事。それをホ・オポノポノで乗り越える
( 2月4日 1:30現在 )
我を忘れて「激昂」してしまう出来事がありました。
”事の発端”は、「相手側の気遣いのまずさ」と、私が「添えるべき一言をかいてしまった」事が原因でした。
会話の違和感
相手側との「一言目」のやりとりから、違和感と不安を感じていました。
””さすがに私が話した内容に対する「レスポンス」が無さすぎる。””
理解力は高いようだが、まるでこちらを配慮した「物言い」をしてくれない。
そう理解した私は、どうにか相手への誤解が起きないようにと注意を払い。
相手が言った言葉を反芻し、足りない頭で「何度も何度も」意味を考えました。
そうすると、
よし、○○と返事をしよう」
と考えがまとまってくる訳です。
「苦手分野」という事も、わたしの思考回路を低下させていました。
どうにか話を進め、「間違いはないようだ。」と安堵を覚え始めた私は、
最後の最後で「一言」相手を気にする事を忘れてしまいました。
そして、「よしよし、これでもう作業は終わりだ!」
と解放感を全身で浴びた私は、メールボックスを隅へとやってしまいました。
翌日の夜11時。
メールボックスに返信が来ているではありませんか。
””ん?もう定型連絡は終わったはずだが…?””
一抹の不安を背中で感じながら、開いたメッセージ
案の定、そこには「トラブル」を知らせる「”文字列”」達です!
考えるに、「相手側の”確認”の不手際」で間違いありません。
そして問題なのが、「1日返事がなかった」からと、「相手側の確認で話を進める 」と書いてあるではありませんか。
私は焦りました。
急いで「メッセージ」を送りました。
どうにか、どうにか自分を抑えて「確認事項と訂正内容」を簡潔に、且つ漏れが無いように書きなぐりました。
怒りで我を忘れていた私。
「1日」経っている所を「3時間」と勘違いして、相手に対して「怒りのメッセージ」を送ってしまいました 。
2分後それに気付く。消そうと試みるも、どうやら消せない設定になっているらしい。
若干の後悔がありつつも、怒りの方が勝っています。
私はどうにか、どうにか「そちらの問題であるのだぞ。」と言う事を強く意識して、且つ、相手を攻撃しないように、丁寧に低いスタイルで書き進めました。
時刻は夜中の(0:30)
これは無理かもしれない…。
そう諦めながらも、感情を鎮める為に「ホ・オポノポノ」を唱え、
””相手を責めるべきではない。怒りを強めるべきではない。そう落ち着いて、落ち着いて、上手く処理できる、上手く処理できる、だから落ち着かせて…。””
こう呟き待つ事、数分。
なんと相手側からメッセージが!
笑ってしまう事に、そのメッセージも非常に私を苛つかせた のですが、見る視点にもよります。置いておきましょう。
しかし
どうしても、相手が私の添付した内容を見ている様子がない。
徹底して、私の間違いを指摘してくる。
””なぜ!相手は、私の添付資料を見ないんだ!!!?””
もう笑えてきますが、
ここで役に立つのが「時間の情報」ですよね。
””「○○時○○分のメッセージ」と「○○時○○分のメッセージ」を再度確認してください。内容に変更点があります。””
この一言で済んでしまいました。
自己完結型の人間には、数字という確実な要素を加えて、目の前に存在を示してしまえば、後はあちらで処理をしてくれます。
こうして
無事に手続きが終わり、私は「腰を下ろす」事ができました。
どうして必要以上に確認をしたつもりでも「問題点が発生」してしまうのでしょうか?
私は、「自分に自信がありません」
ですから、少しの事で自分を責めてしまいます。100%相手が悪くとも。
だからこそ、注意に注意を重ね、どうにか避けられる様に努力をする。
それなのに、どうして毎回問題が発生するのか。
「引き寄せ」。私の心配が現実になる。
そういう事なんでしょうか。
でも、私はもうこの現実を「私の傍に」置きたくない。
だから「Vortex」よ。
""私を、次の「ステップ」に進ませて欲しい。""
余談
ここで面白い事があります。
相手からメッセージ届いたのが「0:22」
私が決定打のメッセージを打ったのが「0:33」
私が1つ動くたびに、数字に関連が見いだせる。これは私をとても勇気付けました。
何度も書きますが、私には「私を守護する存在」が複数居てくれるのが分かる。
こうして「メッセージの形」で、目にみせてくれる事もある。
面白いですよ、頑張るって””やる気が出ちゃう ””じゃないですか。
終わりに
文章の練習に少し”大袈裟”に書いてみましたが、こっちの方が”面白い”でしょ?
私は昔から、文章で「演技」するのが好きなんです。
別人みたいな「喋り口」で ぺらぺら、ぺらぺら と、皆が笑顔でこちらを見ている。
そんな瞬間だけが私を私じゃないと感じさせてくれた。
「声」で伝えるのは得意じゃない。でも「文章でなら」どうにか出来るのかもしれない。
だから私は少しでも、文章を書くのが上手くなりたい。
そう思っています。